2017年3月21日 (火)

長距離ランナー 村上春樹

毎年、ノーベル賞候補に挙がる村上春樹の本を一冊読んでみたくて漁っていたら
「走ることについて語るときに僕の語ること」
という本が見つかった。

私は読む本を選ぶときに「あとがき」を見る癖がある。
この本の最後の章の末尾に、自分のお墓に下記のように刻んでくれと書いてある。

村上春樹
作家(そしてランナー)
1949-20XX
少なくとも最後まで歩かなかった

あんなに忙しいひとなのに毎月のノルマは300キロだそうだ!
読み進むと納得することばっかり

 僕はチーム競技に向いた人間とは言えない。良くも悪くも、これは生まれつきのものだ。サッカーや野球といった競技に参加すると(子供の時は別として、そういう経験は実際はないけれど)、いつもかすかな居心地の悪さを感じさせられた。
兄弟がいないことも関係しているかもしれないが、他人と一緒にやるゲームにどうしてものめり込めない。またテニスみたいな一対一の対抗スポーツもあまり得意とは言えない。スカッシュは好きな競技だが、いざ試合となると、勝っても負けても妙に落ち着かない。格闘技も苦手だ。
 もちろん僕にだって負けず嫌いなところはなくはない。しかしなぜか、他人を相手に勝ったり負けたりすることには、昔から一貫してあまりこだわらなかった。そういう性向は大人になってもおおむね変わらない。何ごとによらず、他人に勝とうが負けようが、そんなに気にならない。それよりは自分自身の設定した基準をクリアできるかできないかーーーそちらの方により関心が向く。そういう意味で長距離競争は、僕のメンタリティにぴたりとはまるスポーツだった。

そう、私も昔から普通の運動が苦手なのだ!

走っているときにどんなことを考えるのかと、しばしば質問される。そういう質問をするのは、だいたいにおいて長い時間走った経験を持たない人々だ。そしてそのような質問をされるたびに、僕は深く考え込んでしまう。さて、いったい僕は走りながら何を考えているのだろう、と。正直なところ、自分がこれまで走りながら何を考えてきたのか、ろくすっぽ思い出せない。
(中略)僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。

そう、もやもやがとれて身体も心もすっきりする。

(中略)まわりの人々に「村上さん、そろそろ走るのをやめた方がいいんじゃないですか。もう歳だし」と忠告されても、僕はとにかくフル・マラソンを完走するという目標に向かって、これまでと同じようなーーーときにはこれまで以上にーーー努力を続けていくに違いない。誰がなんと言おうと、それが僕の生まれつきの性格なのだ。サソリが刺すように、蝉が樹木にしがみつくように、蛙が生まれた川に戻ってくるように、カモの夫婦がお互いに求めあうように。
(中略)だって「ランナーになってくれませんか」と誰かに頼まれて、道路を走り始めたわけではないのだ。誰かに「小説家になってください」と頼まれて、小説を書き始めたわけではないのと同じように。ある日突然、僕は好きで小説を書き始めた。そしてある日突然、好きで道路を走り始めた。何によらずただ好きなことを、自分のやりたいようにやって生きてきた。たとえ人に止められても、悪し様に非難されても、自分のやり方を変更することはなかった。そんな人間が、いったい誰に向かって何を要求することができるだろう?

走れなくなったらと思うと恐ろしい!

こんなに私の気持、いやランナーの気持を代弁してくれている本はないだろう。
自分には書けない、小説家でないから・・・ありがとうございます。

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